「私について」粗利益への確信から現在に至るストーリー

自分自身の拙いストーリーについて語った「私について」を12年以上も掲載していました。部分部分で考え方も変わり、昔の文章をそのまま掲載し続けるのも若干微妙になってきた為、現在の状態での自身の振り返りを再度書かせていただきました。大して面白くもありませんが、ご興味があればご覧ください。

 

(普通の大学を出た普通のサラリーマンがまあまあのコンサルタントになる)

 

自分自身を表現するにあたって、最も適切な言葉は「普通」になると思う。本当に普通の高校と普通の大学を出て、地方の普通の会社に就職した。偏差値的には中の上位。悪くもないが特筆すべきものでは全くない。起業したての時期で、もう15年以上前になるが、「言う程いい大学を出ていませんよね」と言われた事が何度かあるが、確かにその通りである。ただ、自分自身は自分が出た大学は好きだったし、その大学に行って良かったと思っているので特段コンプレックスなどはない。むしろ自分の学力で良く入れたな、と思う位に自分は学力は高くなかった。もう少し勉強しておけば、と思わなくもなかったが、今の大学を出れて十分に良かったと思っている。

 

学力の事をもう少しだけ言えば、とにかく英語が「全く」ダメだった。何をどうやっても理解できない。高校受験から大学受験まで、最後の最後まで英語には苦労した。半面、文系のくせに数学や理科は得意で、あとは国語なんかも得意だった。ついでに体育の成績もかなり良かったと思う。特に数学などは圧倒的に良かったと思う。国語も小さい頃から本が好きだったので、読書量が多かった事が役にたっていた気がする。いずれにしても、英語が出来なければいい大学には入れるはずもない。文系だったので数学を選択できず、英語の点数は諦め、世界史と国語だけで勝負し、何とか今の大学に滑り込んだというのが実状だ。本当に大した事はない。

 

サラリーマンは15年やっていて、退職したのが38才。起業したのが40才。起業は今から思えば結果的には素晴らしいタイミングだったと思う。起業した当時は仕事がほとんどなく、かなり苦労したが、今となってはその比較的早い時期での苦労が今に繋がっている。これが40代後半や50代などでは、とても今の状態は築けなかったであろう。時代も変わり、今の時代などでは40代や50代以降の起業でも出来なくもないが、その年齢では少し遅いとは感じる。やはり起業は早いに越したことはない。自分の子供達も2人とも20代で起業させた。長男は25才、次男は24才。長男の会社は2年で売上が数倍になりすぐに法人化させた。法人化してもう3期目になる。次男は結果的に私の会社に入り、別部門として事業を行う形態をとっている。2人も現時点でもまだ20代だ。

 

子供達には常々、先の先を見るように言っている。「今」などどうでもいい。「来年再来年」などもどうでもいい。最低でも10年後を見据えた考えと行動を促している。20代でそれを理解し、実行に移す事などは困難だろうが、いつか理解できる日が来ると思っている。人と同じ道は歩んで欲しくないとは個人的には思っている。経営なども同じだ。今期・来期の事だけを考えていてはすぐにその2年後はやってくる。そしてその時になって思う。自分も自社も何にも変わっていないと。

 

普通の高校を出て、普通の大学を出て、そして普通のサラリーマンとなり、当時としては比較的早めではあるが、いわゆる普通の起業だった。

 

 

(粗利益という指標はいかに生まれたのか?)

 

粗利益を唯一無二の経営指標にして実行し続けているコンサルタントは多分昔も今もあまりいない。それらしい事を言っているサイトやコンサルタントも探せば見つからなくもないが、偉そうに言って申し訳ないが、やはりその浅さは否めない感じがする。又、人によっては私の著書などを見て、真似しているのでは?と感じるコンサルタントも少なくない。

 

粗利益というキーワードは、実はサラリーマン時代に醸成された考え方だ。それこそ私自身の発案などではない。建設資材の商社にいた頃の私の部門の責任者(分社化した社長)が粗利益しか見ない人だった。この人、なんで粗利益しか見ないのかな、と当時は不思議というより反感すら持っていた。しかし社長は会議でも何でも目標としている粗利益の話しかしないので、自然と会社全体が粗利益の話しかしなくなっていった。「ところで今期の売上はいくらくらいになる?」と、たまに社長に聞かれても、売上高などは誰も答えられない位に指標となる粗利益は会社に浸透していった。

 

決定的だったのは、上記の社長が他部門の経営も兼ねる事になったのに加え、私の部門が他部門を合併した事であった。その2つの部署は業績が良くなかったから合併などになったのではあるが、社長がその会社に入ってから、その2つの会社の業績が一気に伸び出したのだ。しかも社長はその業態の事は特別に詳しくもないので、毎月の報告会で年間の目標とする粗利益の進捗を聞いていただけだった。これには大きな衝撃を受けた。他の誰もそれについては気が付いていないようだったが、私は本当に衝撃を受けていた。「具体的に目指すだけで利益というのは上がるのか」、そう理解した時の衝撃は今でも強く覚えている。粗利益を上げるにはどうすればいいとか、やり方や考え方などはそこには何もなかった。「ただ目指す」という1点なのだ。まずは指標として「ただ存在」するだけで利益は上がる、業績は上がるのだと確信した。

 

当時の社長に強烈に刺激を受けた私は、そこに自分自身が考えた様々な手法を試行錯誤の中で加えていき、自部門は強烈な利益を出し始めた。お蔭様で私も30代前半から出世し、課長代理を飛ばし課長になり、副部長、部長、取締役部長と、地方の商社とはいえ、30代中盤付近で役職に加え、収入までも上がり続けていった。

 

退職する数年前に、当時の部長には経営を学ぶために留学したい旨などを伝えていた。MBA的なものを改めて身につけておきたいと思ったからなのだが、結果的にはそのまま会社は辞めてしまった。退職に関しては、先ほど書いたように、先を見据えたようなそんな格好いいものでは全くなかったのだが、これは結果としては前述のように素晴らしいタイミングであった。と、この10年後位ににようやく思えるようになった。ちなみに留学もMBA取得も出来てはいない。

 

 

(コンサルティング手法の変遷)

 

仕事は年々少しずつ増え、起業5年目あたりから一気に増えていった。タイミングよく出版の準備もしていたのだが、1冊目の書籍の反響は本当に凄まじいものだった。自分的には何気にブレイクした感じがあった。2冊目は建設業界以外のジャンルでも支持され、Amazonのレビューなども170近くついている。書籍の影響は日本中に伝わり、文字通り北海道から沖縄までの全域をコンサルティングするようになった。

 

コンサルティングの軸は当然「粗利益」。会社の数字の軸を唯一無二の粗利益に置き、経営する。当時の特徴としては、コンサルティングをする会社の社員さん全員と面談をしていた。これが結構当時は驚かれた。方針を決め、社員さんを集めて方針説明をし、毎月訪問して会議を行う、というのが王道パターンだった。利益が出ない会社など本当に1社もなかった。どの会社も圧倒的に利益が上がっていった。

 

経験が重なり結果も出て、更に自信がついてきた事、何より顧問先数が増えすぎた事もあり、10年目あたりから、自分自身の全体のコンサルティングメニューを徐々に減らしていってみた。方針説明もなくし、社員面談もなくし、次には会議もなくし、終いには訪問さえも行わなくなっていった。しかしこれは別に手を抜いていた訳ではない。進めて行くうちに本当にその必要がなくなってきたと感じ始めたのだ。もちろんそれらをきちっと全部やるに越したことはないが、本当に大事なポイントさえ押さえれば、その10分の1位の時間と労力でほぼ同等の利益があがるという事が分かってきた。最近では顧問先の数はピーク時に比べて4分の1程度に大きく減らし、その十数社の会社の方々もその8割以上は石川県か東京のの自宅に来ていただいている。関西やその他の地域の方についても同様だ。粗利益が軸という考えは当然不変ではあったのが、ここ2~3年は、その中でも「粗利益率」へのフォーカスが強烈に強まってきた。

 

借入金が売上額と同等レベルに多い会社では、通常の営業利益を出していた位では到底返済まで追いつかなかった。金利で1千万円や2千万円、多い会社では金利が1億円を超える会社も何社かあった。それだけの金利に加えて、純利益の中から捻出しなければならない年間の返済額などは到底出せるものではなかった。そこで、言い方は悪いが「どうせダメなら」と経営者の方と共に腹を括った。そして、「粗利益率」のみにフォーカスする「粗利率経営」を取り入れてみた。これも当然当社の完全オリジナルである。

 

その結果は凄まじいものだった。私自身が一番驚いている位である。まだまだ道半ばの会社も多いが、多大な金利を払い、何十年も返済に追われ続けなければならない企業が数年(3~5年)での完済に目途を付けられるようにまでなったいった。その手法の詳細については、現在はマニュアルとして販売もしているので、ご興味があればまた見てみて欲しい。

 

現時点では「粗利経営」と「粗利益率経営」の合わせ技で、各社に応じた対応を取っている。

 

 

(仕事も頑張りながら、やり残しのない人生を生きる)

 

比較的シンプルに、多少は掘り下げてこれまでの自身のストーリーをまとめてみました。現在の仕事の状況で言えば、問い合わせ自体は8年前~6年前の書籍発売時から比べれば、そこまで多くの反響はない。あの頃はコンサルティングの依頼や問い合わせが毎日のようにあった。月で言えば平均で40社位。最近では月に10社弱という所になっている。それでも一般的なコンサルタントと比較すれば、とてつもなく多い数だと思う。逆に講演は今までほとんど受けていなかったが、最近は企業用の講演も含めて受け始めているので、コンサルティングというより講演の依頼の方が今は多い。他には粗利益率経営のマニュアルを作り、粗利経営導入の部分のみのコンサルティングなど、何年もがっつりと入らせていただくというよりは、多少ライトにして期間も費用も抑えながらやっている。コロナ禍を経たのが大きかったが、石川県の自宅はリビングも広く、ホワイトボードもあるので、石川県の自宅と東京のマンションのミーティングルームを併用して行っている。

 

又、現在は空いた時間のほとんどは妻と過ごすようにしている。顧問先の方々や、コンサルティングの生徒さん、そして各種講演などはもちろん全身全霊で行わせてもらっているが、月間の稼働率で言えば60%以下に抑えている為、それ以外の時間のほとんどは妻といる。海外などは結婚してから29年間、1回もいった事が無かったこともあり、昨年からまずは自分自身の見識を広めるためとにも海外に一緒に行っている。この1年半で実に12回も海外に行ってきた。ほぼ毎月である。ドバイが2回、ハワイが3回、他にシドニー、シンガポールが各1回、そして大谷翔平を見に、ロサンゼルスに3回、ニューヨークとサンフランシスコにも各1回行ってきた。未だに英語はまともに話せないが、やりとりに困る事はほぼなくなった。多少、度胸がついてきたのかもしれない。他には今年に入ってからコンサートやライブなどにも行っている。この春からで既にもう20回は行った。海外もライブも自分の中では未だに違和感はあるが、長い人生の中で味わっておいて良かったと、今ではしみじみ思っている。

 

後は2人の子供達の事業への支援だ。支援と言っても金銭的なものではなく、子供達の事業をコンサルティングしているような感じでもある。長男は国内3番目の規模のオンラインサロンを運営し、宣伝媒体のYouTubeなどの登録も10万人を遥かに超えている。次男はそのサロンの手伝いもしながら、当社の中で建設業界のSNSのコンサルティングを行っている。それぞれに私の行っているコンサルティングとは全く違うが、長男などは凄まじい結果を残しているし、次男もまずまずの成果を挙げている。私は基本的には1人で石川県におり、月の3分の1程、妻のいる東京のマンションに行く、長男も次男も都内の都心部に住んでいるので、皆で集まる事も多い。連絡も皆毎日取り合っている。それぞれがそれぞれに自立しながらも、支え合っている感じだ。

 

現在57才。まだまだ老け込む年でもないが、そんなに余裕のある年でもない。いつ何があるかも分からないし、そうなった時に後悔しないように、やり残した事がないように、先を見て日々過ごしている。

 

建設業界の古い習慣は根深い。悪しき習慣とまではいわなくても、多くの会社が低利益又は赤字の決算になっている。私などがいくら訴えようが、所詮一人のコンサルタントのいう事など聞いてくれる事はずもない。個人的には業界の中ではある程度の知名度は得たが、そんなの全体の1%にも満たないのではないだろうか。

 

建設業界の会社が利益を上げるための確信は当然持っている。だからこの仕事を17年も出来ている。極論、私の言うようにやっていただければ、どんな会社も今の10倍以上の利益を出させる自信は溢れる程にある。しかし皆、現状打破であり変化を心からは望まないだろうし、何よりコンサルティングの費用を払いたくないので、安く情報を仕入れて何とかやり過ごそうと思っている会社が多い感じはする。コンサルティングの費用はまあまあかかるかもしれない。しかし、顧問料の最低10倍の利益を出すと断言しても、躊躇われる人も多い。自社の成功が目の前に来ているのに、わずかな出資を避ける人がやはり一定数いらっしゃる。そこまで魅力を感じさせない私自身にも問題があるのだろうが、そこは残念でならない。

 

それでも私を信じ、付いてきてくれる方々も大勢いる。その方達に報いるためにも、日々精進して、より一層コンサルタントとしてのレベルを上げていきたいと心から思っている。家族の幸せと建設業界の発展を祈り、今日も大谷翔平の試合を見ています。

 

長文に渡り読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

「建設業のための経営改善バイブル」(第5版御礼) 

「粗利だけ見ろ」(第6版御礼) 

「建設業経営 利益最大化の法則」(第2版御礼)

「粗利至上主義」(第2版御礼)

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